論文のまとめ(ロボット演劇)

ロボット学会誌Vol.29, No.1, pp.35-38,2011のロボット演劇(著者石黒浩平田オリザ)のまとめです。


◯研究背景
様々なヒューマノイドロボットが開発され、それらを用いたコミュニケーションの研究が盛んに行われている
人の特徴的な動きを模倣することで、非言語コミュニケーションの重要性が徐々に明らかになってきた。

◯問題点
どのようなロボットの仕草が、人間に取って心地良く、自然と感じることができるかについては、まだ知見は十分ではない
ロボット研究の可能性を示すのに、実験室で特定の機能を検証する場合、なかなか伝わらず、期待と現実のギャップがロボットの普及の障害になりかねない。
汎用的な機能開発が中心であったが、機能が制限されていたため、一般の人々のロボットに対する期待に応えられなかった。

◯目的
ロボット開発における新しい方法論を模索すること、
ロボットの基本機能に対するこだわりを捨て、潜在的な表現能力を発揮すること
ロボット実用化においてメーカーが必要とする多くの情報を得ること
ロボットのイメージを一般の人々に正しく伝えること、期待と現実のギャップを埋めること

◯提案手法
シナリオとシーンを限定し、その中でロボットの表現能力を極限まで引き出す。ロボットは決められたスクリプトで動くだけでよく、技術的な問題を回避できる。さらに、十分に人間と関わることができるシナリオやシーンを増やしていくことで、徐々に汎用的な機能が実現でき、ついには機能の実現に至る可能性がある。機能中心の開発をトップダウン的なアプローチとすると、シナリオとシーンを限定したアプローチはボトムアップのアプローチであり、双方必要なアプローチでありつつ、両者は将来融合すると考えられる。
ロボット役者として、三菱重工製のワカマルを用いた。高さ100センチ、直径45センチ、体重30キロ、車輪による移動機構を持ち、最大速度は1キロである。
平田はロボット演劇のシナリオをこれまでに2つ作成し、「働く私」と「森の奥」である。
「働く私」では2体のロボットが登場し、それぞれ、タケオ、モモコである。二人の俳優は、政府から職を失ったものに支給されるロボットと暮らす夫婦を演じる。
モモコは料理を得意としなくてはならない存在であるが、タケオは働くことに疑問を感じている。そのことが原因で働けなくなったタケオの状態を通じて、人間にとって「働く」とは何かを考える内容となっている。
講演時間は27分で、ロボットと人間の違いは何か、ロボットにも人間にも心を感じられるか?という問題意識を持ちながら、ロボットの対話内容や感情を表現する仕草に注意を払いながら開発した。
演劇では会話の内容が決められているため、音声認識は必要ない。むしろ、仕草の演出や会話の間が重要な要素となる。
仕草のプログラミングが最も難しく、通常ロボットの動作は作業効率のみを重視するが、演劇においては、無駄とも思える動きにより、個性を表現し、人間らしさをより強く表現することができる。これらはパントマイムや、人形浄瑠璃の動きを元にデフォルメすることで実現した。
演劇では、セリフを喋るときに動きをつけるのは不自然に見える。人間の動きでもしゃべるのと同時に動くことは殆ど無い。そこで、発話と動作のタイミングに若干のズレを組み込むことでロボットの人間に対するコミュニケーションの質が向上した。
また、何もしていないときの動作も重要であり、体を微少に動かしたり視線を動かすことで生き物らしさを与えた。

◯実験結果
約60%の観客がロボットの演技は自然であったと答え、約90%の観客が、本当に会話していると感じ、演劇そのものを面白いと感じた。
約70%の観客が感情移入したと回答した。
約60%の観客が「ロボットにこころを感じた」と回答した。

◯結論
心が人間同士や人間とロボットの間の複雑な相互作用に現れる主観的な現象であるとするなら、ロボット演劇では、シーンやシナリオを限定して、その現象を引き起こせた。
芸術においては、経験や直感によっていきなりパフォーマンスの高い結果が導きだされる。科学技術はその結果を元に、それを導くための仕組みを研究するのが役目である。
あたらしい現象を作り出す芸術とその仕組を探求する技術の連携こそが、新しい技術を生み出す真の芸術と技術の融合であろうと考える。技術だけに注力していては新しいものが生まれる可能性は少ない。